アルペン:皆川、惜しくも4位 メダルまで0.03秒
メダルまで0.03秒−−。
トリノ五輪アルペンスキー男子回転の皆川賢太郎選手(28)。
わずかの差で4位だったが、50年ぶりの入賞をもたらしたのは、
選手生命を危ぶまれるほどのけがから、はい上がってきた不屈の精神だった。2回目を滑り終わって3位。
祈るような気持ちで後続を見つめたが、1人に抜かれた。
「100分の3秒。100分の3秒」。よほど悔しかったのか、試合後に何度も繰り返した。
98年長野、02年ソルトレークシティーと五輪2大会に出場。
国内トップ選手として活躍した皆川選手に最大の危機が訪れたのは02年3月。
国内大会で、ひざの靭帯(じんたい)を断裂し、全治3年ともいわれた。
間もなく復帰するが、ひざの違和感からレースを棄権するなど、2年近く万全でない状態が続いた。昨年6月、高校の同級生で北照高校スキー部コーチ、工藤聡さん(27)に
「練習を手伝ってくれ」と電話した。工藤さんは言った。
「賢太郎は技術の高さは一番だが、もろい。ピラミッドの土台を二人で作ろう」。
黙々と続けたトレーニングで鍛えた筋肉が、勝負にかける心のよりどころになった。「今日は悔しさ半分、うれしさ半分。
スタートに立てた時、幸せだと思った。弱い自分から脱皮できたから」。
4年後のバンクーバー五輪の開催時は32歳。
「けれども、また五輪を目指す」。
ひたすら高みを目指した歩みを止めるつもりはない。[毎日新聞]