はるみ号泣…作曲家・市川昭介氏死去
「アンコ椿は恋の花」などのヒット曲で知られる作曲家の
市川昭介(いちかわ・しょうすけ)さんが26日午前5時、
肝不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。73歳。福島県出身。
歌手の個性を生かした演歌を得意とし、
中でも都はるみ(58)との師弟コンビでヒット曲を連発。
約3000曲を残した大作曲家でありながら、やさしい語り口とかわいらしい笑顔で、
お茶の間にも親しまれた。あまたのヒット曲だけでなく、歌番組でのやさしい口調と
“昭ちゃんスマイル”と呼ばれた笑顔で人気だった市川さん。
家族全員にみとられた最期もほほ笑みながら眠るように息をひきとった。福島県郡山市出身。独学で作曲を勉強し、故村田英雄さんの「皆の衆」、
五木ひろし「細雪」など世に送り出した作品は約3000曲。
新人の育成にも力を注ぎ、中でも、内弟子のはるみとのコンビで
「涙の連絡船」「大阪しぐれ」など大ヒットを連発した。
レコード大賞新人賞に輝いた「アンコ椿は恋の花」では、
当初乗り気ではなかった作詞家の星野哲郎氏(80)を粘り強く説得。
当時16歳のはるみの声を聴いてもらい、
感動した星野氏がすぐに書き上げたという逸話がある。
その後も2人は、親子のような関係を築いていった。今年夏になって食欲が急激に落ち、腹水がたまり始め、9月4日に入院。
その後も、はるみは「1日おきのペース」(関係者)で見舞いに訪れた。
「曲を作りたい」という願いに応えて詞を用意。
病室に持ち込んだ小型のキーボードで曲が付けられると「これでどうだ。
歌ってみてくれ」。その場で歌ってみせ、病床の恩師を喜ばせた。
みとることはできなかったが、直後の午前5時半に訪れ、
無言でほほ笑む恩師にすがりつくように泣き崩れた。
病室を閉め切り約4時間もの間、2人きりだったという。小柄で穏やかな市川さんだが、そのハートはたくましかった。
02年秋にがんで胃を全摘出した際、肝臓などに転移していることが判明。
医師から「余命3カ月」と宣告された。やせ細り、声に張りもなくなり、
周囲も心配したが「ありとあらゆる民間療法に挑み、中国まで行った。
すさまじい気持ちの強さで命を延ばした」(関係者)という。入院直前の8月末までテレビのレギュラー番組に出演し続けた。
若手歌手への自宅でのレッスンは欠かさず、最後まで若い才能を育てることに、
その人生をささげた。通夜、葬儀は市川さんの強い遺志により、親族だけで密葬が営まれ、
来月10日にはるみらが実行委員となって「お別れの会」を
東京・青山葬儀所で執り行う。サンスポ
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